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風猫通り三番地ニノ二十三

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路地裏っぽい人が屋根の間の空を見上げる場所。

クリエイターもどきの上手い剽窃の仕方(試案)

 パクリというとまあ、良いイメージはない。けれど、パクリそれ自体が完全に弾圧・排除されるケースは実はけっこう稀で、その場合ほとんどが、「パクリによってパクリ主が実利を得ている場合」に限定される。いまやオタク文化に於いては「オリジナルなんて存在しない」という言葉が免罪符を越えて一般常識となっているけれど、受け手が介入出来ないパクリは依然として嫌われているが、某友人が幾度となく強調する、提供者と受け手との間の「共感」(この言葉が適切かどうか、僕にはいまいち自信がない)関係が発生している場合は、元ネタが明確なパクリであっても積極的に嫌われることはない。2chでいうところの「あるあるwww」という奴だ。
 人様の物やアイデアを多少改編してネットに上げれば一定の評価を受けられる昨今、能動的なパクリ主は勝ち組であるとすらいえる。本来まっとうな権利者の糾弾が痛々しく見えるのは、彼らがオリジナルであることに乗っかかりすぎて、受け手の消費動向について行けていないためではないだろうか。かわいそうだけど。
 では、表現者がパクリを承知で引用を行う場合、どういう点に注意すればいいだろう?

1.受け手の批判を計算してもパクリが有効である場合。
 ある種のシチュエーション・設定・プロットには定型という物がある。これを使えば間違いないもの。たとえば、「吸血鬼・夜・紅い満月・館」とか。「幼なじみ・委員長・お隣・ツンデレ」、またハリウッド映画のタイムテーブルも。それらのパーツの数はだいたい決まっているので完全に類型化するけれど、決まった構造はそれなりに強いし、数が無数にあるので少々増えようが文句の総数はキャッシュされない。開き直った方が逆に評価されることもある。比較的小規模の作品に向く。オタジャンルの中で何度でも再生産可能だが、やりすぎると劣化する。また、何度も繰り返せばパクリ方が上手になり洗練される。

2.絶対にばれないようにパクる場合。
 パクリ元が公になれば極端に批判が向くので、パクリ元を知られてはいけない。よって、「マイナーな作品からパくる」のは必須。また、「数タイトルからネタをつまみ食いする」「全く違うジャンルからネタを拝借する」なども有効。多数の作品から引用すればするほど、根幹となる特定作品からの剽窃の事実は小さくなり、受け手が「ネタが広範囲で教養がある」とありがたい勘違いをしてくれることもある。
 この作戦で行く時、たとえばHPやmixiで自分の趣味をおおっぴらに公開していると、何を元ネタに使っているかバレバレで冷や汗をかくことになる。特に、無意識にパクってしまう(自分の考えたネタだと思ってしまう)人は大変だ。僕なんかがそんな感じ。
 だから、勉強と思わず、パクリ元を日夜探して色んな物を観察しよう。ここでは正しいことよりも、少しでも(量的に)豊かなことが望まれている。

3.強烈なパーソナリティをおおっぴらにしない。
 先程の話に関連するが、作品だけでなく、作品の送り手も消費するのが昨今の受け手であるから、あまり強烈な(良い意味でも悪い意味でも)個性の持ち主が引用を繰り返すのは悪い印象を与えやすい。周囲の人に対する立ち振る舞いや、HPでの言動、本の後書きに至るまで、自信がなければ常識人の皮を被って必要最小限の言葉でやり過ごすべき。我慢して我慢して、一定の完成物を提示出来ればあとは向こうが勝手にデータベースを使って一定の場所に位置づけてくれるはず。評価が固まれば少々声が大きくなっても大丈夫。結果の出てない奴の正論は負け犬の遠吠えに過ぎない。

 以上、今回は三点上げたけれど、ポイントはまだあると思うんで、各自それぞれ手管を編み出していくのが吉なんじゃないかと。ともあれ、まず覚えるべきは「向こう(受け手)に釣り針を引っかける手段」だ。古典を諳んじ名作を必死に模写するのが勉強というのか、それも結局剽窃ではないのか? 古典を原本にすれば高尚というのはおかしくはないか? 時間を費やし、損をしてまで無為で真摯な表現に拘ることはないんじゃないか? まぁぐだぐだとそう思うわけだが・・・。


※ このエントリは激しくフィクションです。
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by kazasiro | 2007-10-08 20:24 | 同人活動とか