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風猫通り三番地ニノ二十三

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路地裏っぽい人が屋根の間の空を見上げる場所。

田中芳樹「カルパチア綺想曲」

おそらく十年ぶりぐらいに再読。あらすじはというと、十九世紀末のイギリス・ロンドンの女性新米新聞記者が、同僚の若手記者・破天荒な親父(元英下院議員にして冒険家)とその後妻(美貌の中国人美女で指弾の使い手(笑))らと徒党を組んで、某伯爵の莫大な財産を巡り、冬のオーストラリア=ハンガリー二重帝国を股に掛けて格闘有り気球有りの大冒険をするというお話。ハンガリーといえばわすれちゃならない吸血鬼の故郷・トランシルバニアで、たぶんに漏れず今作でも、山頂の古城やエリザベート=バートリをイメージした鮮血のモチーフが堂々と描かれています(登場遅いけど)。
前に読んだ時にはなんだか妙に淡泊な印象を受けた気がするんだけど、今回は結構楽しく読めました。記憶が薄れてたのもあるけど、おっさんになったからかなぁ、格好いいおっさんには惹かれますねぇ。流れも(導入以外は)さして不自然に思えなかったし。十九世紀末の欧州を舞台にした作品を断続的に読んでいるからかもしれず。舞台としてはかなり好きな方ですしねー(グラナダTVのシャーロック・ホームズが好きな貴方!お勧めです)また、これは作者が呼称するところの「ルリタニア・テーマ」に準ずる作品で、先行して「アップフェルラント物語」というのがあります。こっちもお勧めです(実はふくやまけいこのマンガ版の方が面白いんだけどね・・・あとアニメ版は避けるが吉)。ちなみにルリタニア・テーマというのは、「ゼンダ城の虜」という傑作から拝借しています。しってます?

さてさて、日本の、しかもマンガやライトノベルなんかのサブカルチャーでは、吸血鬼物(蒼い肌に牙、マントに蝙蝠でワハハハハのアレ)はかなりの安全パイとして扱われることが多く、怪盗といえば「シルクハットにモノクル」「レオタード三姉妹」「赤ジャケにワルサー」と連想されるが如く、吸血鬼は夜の帝王として扱われることばかり。そしてそう描かれてしまえば、居場所は高いところと西洋の城と相場が決まってしまい、発想の転換なんて余地もありゃしません。(まぁ田中芳樹自身も「ウエディングドレスに紅いバラ」なんてへんてこな小説家いてるけどさ)しかもそのイメージを無理なく程良く踏襲出来た作品はそれなりに受けてしまうという事実。吸血鬼は多分、人間よりも忙しく日本を駆けめぐっていると思うのです。
そこで一つ提案。
吸血鬼物はどんなに頭を捻って書いても、速攻で古典になるべき説を提示したい。ブラム・ストーカーが生み出した夜の貴族のイメージを越えられる吸血鬼はいないのだから、今後どんな吸血鬼が登場しても「うわふるっ」と呟くが吉。だってどうして彼らは設定されるたびにうじゃうじゃ多い人間と対立しなければならないのか。吸血鬼は時代遅れなのだから吸血鬼なんだと、まぁそういうことにして、吸血鬼の皆さんにはそろそろ気楽に安息していただきたく思い候。吸血鬼を少数民族として扱うのも、アンチヒーローとして奉るのも、本来の吸血鬼観からすれば邪道だしね。百年に一度甦っては鞭でしばかれるとか吸血鬼とか、悲惨にも程がある。(でも吸血姫夕維はちょっと好き)

東方紅魔郷もさっさと古典にならないかしら。新作が出るたびに同ポジションで比べられるのは辛いでしょ、いろいろと。
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by kazasiro | 2007-10-10 21:49 | 雑記